当たり前の基準を上げよう
中3では、日曜日を活用して、1時~10時まで塾の模擬試験の勉強会をしました。
この勉強会で、勉強の出来る子と出来ない生徒の違いを見ました。
出来る生徒は、「もし、こう問われたら」ということまで考えて勉強しています。
例えば、記号から選択する問題では、「これが記号問題じゃなかったとしても答えられるようにしとこう」とか、
英語の並び替えの問題で、「これが並び替えじゃなく、完全英作だったときのために確認しておこう」とか、
そのような態度です。
勉強の出来ない生徒は、とにかくこの作業が欠落しています。
問題が解けた時点で、「もうこの問題(歴史の知識・文法事項)は大丈夫」と、楽観しているのです。
そのような生徒は100%落ちこぼれます。
事実、偏差値50を割る生徒は、並べ替えは出来ても、完全英作文は解けないのです。
「そういうレベルまで取り組もうね」と言ってもなかなか改善してくれないのが大半です。
しかし、これは、その生徒が悪いのだと一概には言えません。
小学校時代に、「いわれた量の宿題や自主勉強ノートを出せば高評価が付く」という意味不明な指導によって、
子ども達は、「言われたことをやれば勉強が出来るようになる」という思い込みにどっぷりと浸かっているのです。
そして、中学生になっても、課題をこなすだけで、実になる勉強ができていません。
「もし、ここまで試験にでたら」「もし、ここが記述ででたら」という不安が全くないのです。
そのような態度で勉強している生徒がいたら、塾では必ず指摘しています。
毎回のように指摘しても、なかなか直らないというのが辛いところですが、粘り強く取り組んでいます。
たぶん、その生徒にとっては煩くてたまらないでしょうが、本人のためです。
嫌われようが、成績が上がって、自分の望む人生を歩んでほしいです。
勉強が出来なければ仕事も選べません。
自分の人生を、選択できるか選択されるかは、社会人になるまでのこの20年にかかっているのです。
いつかは感謝されることを信じて、今日も厳しく指導します。
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